情報教育セミナー2003という会議でのパネルディスカッションで、パネラーから、「生の素材と、完成された教材と、どちらが利用されるのか。」という質問が出た。
それは初めの報告で意見の異なった報告があったからだった、A先生は「回線の速度が上がっているので、写真の画質を落とす必要がない。拡大しても利用できる画質を送るのが良い。」、言い換えれば生の画像があれば良いという報告をした。
これに対して、大きくない全体画像と、部分拡大画像を用意する必要はないのかという疑問が出た。
一方でC先生は「教案だけでなく、画像として授業を配信すれば利用が高まる。」と完成された授業の配信が良いとの報告をした。
これに対しても、それで利用が高まるのかという疑問が出た。他人の作った教材はたぶん利用しないだろうというのだ。
利用されるための、要は何か、それは、出し方ではないと思う、ここで議論がずれる、要は、楽しさだろう。教師がこれは面白いと思うこと、子どももきっと喜ぶと感じること、それが利用の要ではないだろうか。もちろん学習を促進することも大事だけれど、楽しくなくては始まらない。
(2003/08/10)