校歌
今の校歌『竜丘小学校校歌』
昭和47年 創立100年を記念して作成
藪田 義雄 作詞
松本 民之助 作曲
1,桑の葉の緑が燃えて 稲谷の土のゆたけさ
山にむかい みんなで呼ぼう みんなの希望を
谷を越えて 丘を越えて こだまが 返るよ
2,せきれいの翼がぬれる 天竜の水のつめたさ
むねをひらき みんなで語る みんなの行く手を
月はのぼり 星は招く たのしい あこがれ
3,竜丘に生まれたわれら 伊那谷の土においたち
山に河に みんなで描く みんなの理想を
雪を踏んで 霜を踏んで 心が 弾むよ
昔の校歌『竜丘国民学校校歌』
昭和16年~昭和20年 国民学校時代
五輪新司郎 作詞(当時の木下新一校長
田中精一朗 作曲(不明)
1,赤石の山燦たる日
真向にうけて竜丘は
駄科時又長野原
桐林区に上川路
5つの里ぞ寄ろい立つ
2,天与の沃土しげる蒼生
うかの生業いそしみて
蚕養の業もいやすすめ
人の和もをもて栄えこし
文化はここに三千年
3,残れる古墳数二百
歴史を語る石器土器
鈴岡城に丈夫の
練武の音か松の風
鍛えし地なり今もなお
4,法の鐘なる開善寺
弘誓の船や天竜の
流れは尽きずとぎつ水
岡の血潮に鎮まりて
伝統高し信夫村
5,ああ我等ここに生を受け
皇国の使命肩に負い
御祖の霊と共に生き
厳たる啓示に臣節を
践みて郷土を守らなん
守りてすす万いざやいざ
『丘の語り部』より
校歌が作られたのは、太平洋戦争が始められようとした昭和16年のことで、小学校から国民学校と名称も改められて軍国主義教育が強化されたとしに当たります。
昭和20年8月の終戦を境に、連合国軍は、軍国主義一掃のために色々な命令が学校に出され、校歌の中にもふさわしくない歌詞もあって、歌われなくなりました。